体、こころをとおして表現しているかを自戒する
私が今住む日本の南方、東シナ海に浮かぶ島々、沖縄諸島はかつて琉球王国という1国家であった。他国との交易を通じて独自の文化と自治を保っていたが、薩摩藩の侵攻、黒船来訪、明治維新による琉球処分でついに日本国に「強奪」されてしまった。以後苦難の歴史が続く。太平洋戦争にて本土決戦の場として島全体が住民を巻き込む戦場となり県民の4分の1が犠牲になって、土地は荒廃した。戦争終結後、27年間米軍統治下となりその間基地建設のため集落や農地を大規模に接収された。朝鮮戦争、ベトナム戦争が勃発し、沖縄から多くの爆撃機が戦地へと向かった。日本復帰前、復帰後も日本本土から米軍基地が沖縄に移設された。沖縄は最も平和を希求する基地の島になった。
それは現在でも変わらない。日本人の根底に流れる沖縄への差別がいまだある。復帰後50年の今年、それが明確に可視化されたのではないだろうか。内地から移住した人間としてなんとも恥ずかしく申し訳なく心苦しくて仕方ない。政府の憲法を歪めた傲慢な権力行使が、多くの対立分断を生み出し、人々の心と魂を引き裂いている。あらゆる問題の原因は少数者ではなく多数者側にあるのは明確である。ゆえに少数者の声は雑多な情報の波にかき消され、岸辺へうまく届かない。過去から何も学ばない、さらに過去を改竄するのを厭わないこの国に、災禍の足音は日に日に大きくなってきている。
今回の個展は「人造永遠」という作品を制作する所から始まった。2021年7月、ユネスコの世界自然遺産に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が登録された。しかし、沖縄本島北部の米軍北部訓練場跡地ではいまだに軍の廃棄物が未回収のまま放置されているという記事を読んだ。返還地の原状回復の責任が米軍側には無いというのもおかしいが、日本側の廃棄物除去作業がいかに杜撰であったのか。世界自然遺産登録ありき、観光産業振興ありきで肝心の「自然環境」はないがしろにされる、この構造。この国はまるで金太郎飴のようである。どこを切っても問題の本質は同じ顔をしている。
銃弾や薬きょうなどの廃棄物、自然界では分解されないものを埋められてしまった森、自然の声なき声。返還されていない地域では今も軍事訓練は続く。騒音は止まない。負担軽減とは何なのか。森に住む生き物たちの見えない「痛み」を可視化できたらと思い、小さな作品に筆を入れていった。
軍事基地は環境汚染の発生源であることが世界でも問題になっている。私が住んでいる宜野湾市でも水源のいたるところに高濃度のPFASピーファス(有機フッ素化合物の総称)が検出されている。中でもPFOS、PFOAは発がん性や胎児の低体重、成人の生殖機能への悪影響、肥満、甲状腺疾患などの健康リスク指摘され、環境中で分解されにくく蓄積しやすい性質から「永遠の化学物質」とも呼ばれている。これは水源に限らず土壌にも蓄積されているのだ。水や土は生きるもの全ての命の源だ。それが常に脅かされ続けているのである。基地さえなければこんなことにはならなかった。事が表沙汰になっても「ただちに健康には影響がない」というのだろう。国(軍隊)は民衆を守らないのだ。
人間の人生は長くても100余年、その中で解決できないものは作ってはならないのだと思う。原発も然り。廃炉の過程、放射性物質が線量を半減するまでに数日のものから数億年かかるものまである。人間の有限の命、途方もない年数の伝言ゲームは成功するとでもいうのだろうか。あまりにも未来に対して無責任すぎるのではないか。未来人の怨嗟の声が想像に難くない。日常生活の中にたくさんの不条理がありながら、それぞれの生き物に営みがあり、季節はうつろい、星はめぐっていく。私達の「世界」はパイ生地のようだ。幾層に複雑に重なり合っている。あらゆるものたちから影響を受け、そして影響を及ぼしている。モザイクの世界。そのひとつひとつにたねを蒔くような思いで作品を描いた。これは巨大な権力への私ができる小さな「抵抗」である。