2018年8月に沖縄県那覇市の古書店言事堂にて個展を開催致しました。
まさに真夏の盛りで少し歩くだけてじわっと汗がにじみます。そんな中、足をお運びくださった方々に感謝致します。私は子どもの時から出かける場所はとなり町の琴似というところで、そこはくすみ書房、紀伊国屋などの大きな書店に小さな古本屋さんがあちこち点在する、私にとっては本の町でした。休みの日は自転車で本屋のはしごをしたものです。まぁ主に漫画が目当てなのですが(苦笑)。時代はめぐり、いまの琴似はすっかり本屋さんは姿を消し、日本によくあるコピペの町になってしまいました。思い出の場がなくなるのは寂しいですね。
テーマパーク嫌いな私はいまでも本屋さんの雰囲気や匂いが好きで心うきうきする場所であります。
展示場所を提供していただいた言事堂の宮城様に心より感謝致します。
展示するとまたあらたなアイディアが湧いてきます。またいろいろ試してみたいと思います。
ごあいさつ
この度は高田陽子展ー森のひとかけらーへお越しいただきありがとうございます。 私の沖縄への接点は高校の時修学旅行で訪れたことがきっかけでした。のちに山形にある東北 芸術工科大学に進学するのですが、大学2年になる前の春休み、住み込みアルバイトならお金 がかからず長く滞在できるということで、西表島のユースホステルへ行くことになりました。 元来接客が苦手な性分なので至らなかったことも多く、今も思い出すと反省しきりなのですが、 2ヶ月間の滞在中、仕事の休憩時間を利用して自転車で島を駆け回りながら夢中で写真を撮った ことを今でも覚えています。まだフィルムの時代だったので現像、プリントにごっそりお金をつぎ込んでしまいました(笑)。この鮮烈な思い出が「ここで制作活動するぞ」と決意させてしまい、沖縄県立芸術大学大学院へ進学する動力となり、修了後も絵を描き続け今に至ります。 はじめは自然の素晴らしさに惹かれたのですが、沖縄の歴史、文化、人に触れるたび、ますます 離れ難くなっています。あれよあれよと15年目の夏をむかえました。
自然のなかに身をおいていると自分もその一部として「融解する」ような感覚になることがあり、 感じたことを絵の中で表現したいと試みているのですが、なかなか難しく試行錯誤の日々です。 当てはまる言葉がないか調べてみると、仏教用語で「一即一切」「一切即一」という思想がある ことを知りました。一つの個体は全体の中にあり、個体中にまた全体があり、個体と全体は お互いに即している、、、大きな「一」のなかに無数の「一」があり、その「一」と「一」は同じものだという考え。自分の中に漠然と感じていたおもいが雫になってポツンと頭に落ちてきたよ うに思えました。俄然東洋哲学に興味が湧いて来ています。幾つになっても学びは大切です。
昨今の日本や世界にまとわり付く靄のようなものは、人々が「分け隔てる」志向に傾倒してきた 空気のあらわれ。そこから差別や偏見、敵意、侮蔑といった毒が混ざると広範囲に広がり、あらゆる人を蝕んでいきます。とくに弱者からダメージを受けてしまうのがなんとも許しがたい。 「全は一、一は全」が真理であるならば、逆行する現世はまたも無惨な犠牲を弱きものに強いる のではないか、暗澹たる気持ちになります。 海のもの、山のもの、陸のもの、すべて生命は循環のなかにあり、命は等しく尊い。 だから「命どぅ宝」「ともに生きる」大切さを知り、考え、表現していけたらと思っています。 今回の展示で「森のひとかけら」という表題を入れました。「一片」は「全て」であるという こと。「全て」は「一片」に凝縮され、提議されると思い作品をつくりました。
「一片」だといって切り捨てている事象はありませんか? それは私たち自身の事なのですよ。