2021年4月1日から29日まで、浦添市港川レストランrat&sheepにて自身の六度目の個展が行なわれました。
ご来店していただいたみなさま、ありがとうございました。そして去年に引き続きrat&sheepのたいらさん、大変お世話になりました。ありがとうございました!!また次の作品をこつこつ作っていきたいと思います。
たねをまいていこう

 ふと今までの生活を何かしら変化させたいと思い、昔に挫折した家庭菜園を復活させることにした。家が2階なのにもかかわらず容赦ない虫の応酬に屈したのが挫折の理由で、虫の勢力が弱まる冬がチャンスと小春日和にさっそく放置していた花壇や植木鉢の土を掘り起こした。植木鉢の土は長い間小さな型にはめられて、コンクリートの様にガッチガチだった。根っこがなんとか養分を得ようと鉢と土の間でぐるぐる這い回っていた。これっていろんなところに当てはまる、社会の動脈硬化を現している様だった。このままではいけない。まず植木鉢から土を解放し、根気よく鍬やスコップでほぐしてやるしかない。塊がだんだん小さな粒に砕かれほろほろと崩れていく。そこにあらたな養分を加えてさらに混ぜ合わせる。充分に寝かせればまた土は蘇るはずだ。そこで生ゴミをつかったコンポストを始めた。有機物を微生物の働きで発酵、分解させて堆肥をつくる。野菜の切れ端やむいた皮などをボカシとともにスコップでまぜてあとは熟成するのを待つ。漬物を作る要領だ。黒くなり白くなりほどけていくバケツの中の小さな世界をじっと見る。 
 ネットの記事※1で有機野菜農家の吉田俊道さん(『菌ちゃんふぁーむ』代表)の活動が紹介されていた。元気な土とは微生物だらけで虫がほとんどいない土であり、虫は微生物を補充する生き物。地球上の死体をうまく次の生命に変えるため、死の局面に現れて次なる生をつくる生き物が微生物だという。微生物ではうまく分解が間に合わないときに虫がくる。「風の谷のナウシカ」に出てくる腐海では手前に虫たちがあらわれ菌たちによって膨大に発酵がおこなわれ、その深層ではマスクのいらない清浄の世界がひろがっていた。微細な生き物たちのもつ生命のダイナミズムによって地球は生と死を循環させている。ただただ肝銘を受けるばかりである。 
「この世界にいきるもの全て何か役割があって生きている」と思えば、表層だけに囚われ一部を破壊したり保護したりする行為が今日のアンバランスで不平等な世界を生み出してしまったと言わざるを得ない。過去はもう取り戻せない。失ったものは蘇らない。今、私たちを苦しめているのは「失われた数十年」ではなく「居座り続ける昭和100年」なのではないだろうか。
 昨年、照屋林助氏のドキュメンタリー番組※2を観た。小那覇舞天氏との「笑い」で命に火を灯す活動や歴史、芸術、哲学などへの飽くなき探求、そしてコザ独立国の終身大統領だったエピソードを見た時、先の未来を見据えて具現化していた人がいたのだなぁと胸熱になった。
彼の言う「チャンプラリズム」は あれもいい、これもいい、みんないい という考え方。さまざまなものを取り入れてごちまぜにして楽しんだ遊びの文化は、いまこそ取り入れてあちこちに蒔いていきたい「たね」のひとつだ。
 COVID-19の感染がひろがってからおよそ1年。分からないことばかりだが、学んだこともある。大切なことは物理的距離(フィジカルディスタンス)は取り、社会的距離(ソーシャルディスタンス)は近寄せること。人と人との関係はどの様な状況でも希薄にさせてはならないのだ。
 私にできることは絵を描き作品というたねを創りだすこと。蒔いたたねよ、そだて!(笑)

※1 …「虫はまずい野菜につく」退職金使い果たした有機野菜農家がたどり着いた驚愕の答え
    https://news.yahoo.co.jp/byline/satoutomoko/20200502-00176521/    Yahooニュース/佐藤智子さん
※2 …沖縄“笑いの巨人”伝~照屋林助が歩んだ戦後~(2006年)NHKドキュメンタリー

高田 陽子
たねねむる
たねねむる
たねおきる
たねおきる
チャンプルーアイランド
チャンプルーアイランド
eat a forest
eat a forest
みらいのようなもの01
みらいのようなもの01
みらいのようなもの02
みらいのようなもの02
たねをまく01
たねをまく01
たねをまく02
たねをまく02
たねをまく03
たねをまく03
たねをまく04
たねをまく04
ドローイング作品たち
ドローイング作品たち
私の絵をイメージしたお店の創作デザート☆
私の絵をイメージしたお店の創作デザート☆

微と生きる微に生きる01

微と生きる微に生きる02

3月はじめの土曜日に県庁前の県民広場へ向かった。辺野古の新基地建設で本島南部からの土砂採取断念を求めるハンガーストライキが行われており、その最終日で集会が行われていた。連日ツイッターや新聞の電子版、Choose Life Project等の発信を見ていて、これは直接署名をしに行かんとと思ったのだった。沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんやその有志の方々はハンガーストライキ6日目ということもあり疲労している様子だったが、語気は力強く思いが心に染み込んできた。戦後76年が経ち、いまだ遺骨収集が続けられている。しかもボランティアで、継続して死者と向き合い生者につなぐ手助けをしているということ。
いままで気にも止めず日々過ごしてきた自分を恥じた。事件があってはじめてその現状を知る。こんなことだらけだ。
「遺骨は土にあれば土の色、日にさらされていれば白色で土地に同化していて経験者でなければ探し出せない。遺骨の染み込んだ土地、遺骨が眠る土地を辺野古の埋め立てに使うことは戦没者を二度殺すことになる。」本当にその通りだと思った。

 昨年、写真家の平敷兼七の写真集「山羊の肺」を見たときに、目にとまったのは石灰岩や地面の中にごろっところがる人のかお。ユーモラスな顔の像。
写真の解説文には「この造形物(仏体)は沖縄戦、特に南部一帯で亡くなった沖縄、アメリカ、朝鮮、フィリピンなどの人々を供養するために沖縄盲学校の子どもたちが制作し、人のあまり訪れない「戦場跡」にばらまいたものである。これから大地にもどり、亡くなった方々と共に語り、楽しめればという願いが込められている。」と、あった。
これが本当の「よりそう」なのだと思った。涙がでた。

一部の権力者がこぞってつかう「沖縄によりそう」と言う言葉。
それを聞くたびに使えなくなったこのことば。

「よりそう」ということばを自分に取り戻すために、私はその当時の子どもたちの思いとともにありたいと思った。

参考 「山羊の肺」平敷兼七写真集 沖縄 一九六八ー二〇〇五年

蠢く土土

■ギャラリー紹介
rat&sheep
住所:〒901-2134 沖縄県浦添市港川2丁目13−9 #43
ホームページ:https://ratandsheep2.ti-da.net
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