2020年4月1日から5月27日の約2ヶ月、港川ステイツサイドタウンストリート内にあるレストランrat&sheepにて個展を開催しました。まさにコロナ第一波の真っ只中で、にもかかわらず足を運んでいただいた方々には感謝しかありません。
最初は1ヶ月の予定でしたがもう一月延長していただいてとてもうれしかったです。来年、またリベンジ?する予定です。
解き放て いのちでわらえ!
私が好きな歌の中にソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」という歌がある。
この歌は1995年の阪神淡路大震災の時、被災地を巡った中うまれた曲だという。
瓦礫から顔をだしたタンポポのような、人々の心の中にぽっぽっとあかりを灯していくような曲で、いつも聞くと涙が出てしまう。悲しみとよろこびをやさしく織り込んだ歌詞に三線とチンドンのひびきが胸をかきたてる。
「解き放て いのちで笑え 満月の夕」
この「いのちで笑え」を今回展示のテーマにした。
漠然と自然界はいのちで笑っているようにみえる。草花も虫も猫も犬も。人も赤ちゃんやこどもたちはいのちでわらっている。おとなになるにつれ笑いかたを忘れてしまうようだ。
いのちで笑うには「解き放つ」ことが肝心なのだろう。
人が解き放たれる場を考えるとそれは「祭事」を思い浮かべる。
以前ラジオで「ハレとケ」という言葉とその概念を聴いてとても興味をひかれ調べてみた。民俗学者柳田國男によって見出された日本人の伝統的な世界観のひとつで、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。
「ハレとケ」の捉え方は諸説ある様だ。古来人々は日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇する「ケガレ(褻・枯れ)」が生じた時「ハレ」の祭事を通じてケガレを晴らすという循環を営んできたという。近代化が進むにつれて区別が曖昧になり、儀礼や祭は形骸化されてしまった。
「ケ」が「ハレ」ないことにより人々の生命エネルギーは枯渇していく。本来の「ハレ」を取り戻さないと「いのちで笑う」は実現できないかもしれない。
一方沖縄では驚いたり、ショックなことが起きた瞬間、マブイ(魂)が体内から離れると考えられており、抜け落ちたマブイを体内に込めるマブイグミ(魂込め)をする。マブイは落としたら早めに取り戻さなければ病気や不運が続くと言われており、現代にも息づく風習である。
「日常」「非日常」を行き来する。なんだか「ハレとケ」の思想と類似点がありそうだ。
人はそのものだけで完結しているのではなく「魂」が人外へ出たり入ったり交流することにより世界の一部として自覚し存在できるのかもしれない。考えが飛躍しすぎて捻挫してしてしまったかな。ともかく落ちたマブイを探しにいかなくては。
一部の者が富み、権力者から行動を制限され抑圧されてきた社会は「ケガレ」の状態である。
新しい「ハレ(非日常)」をみつけたり生み出して、乾いた魂を回復していかなくては。
いのちで笑っているものたちの力を借りて笑いかたを思い出していこう。
2020年3月29日 高田 陽子